スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

イマドキシニアの日常生活#12  転んだって大丈夫

最近の投稿

Cutting-edge Daily Life of Elderly #11 “Kikidoku”—Reading by Listening

  As I grow older, what bugs me the most is my aged eyes, making it hard to read. Naturally, I’ve been spending less time reading. Even when I buy books I like to read, they would end up piling up at the corner of my room and collecting dust. E-books may be an alternative: I can make the font bigger and keep enjoying reading on a tablet. But I don’t feel too comfortable using them. Lately, however, I’ve learned that more and more people enjoy reading through “Kikidoku” ( kiki = listening, doku = reading). From what I’ve heard, you can subscribe to this service at 1,000 to 3,000 yen per month, choosing from over 10,000 audiobooks and listening to as many books as you like. These books are narrated by professional actors and voice actors, and you can choose the voice you like. Apparently, you can immerse yourself in the story by getting information through the voice you like.   When I was little, my grandma always told me stories by heart whenever we slept toget...

Supporting my fav seniors #16 Being productive in your own way

  As a gerontologist, studying how we can enrich our lives as we age, I have had many opportunities to take a brief look at the lives of seniors. Their diversity is enormous, way beyond the theories I’ve studied in gerontology.   One of these seniors is Ms. A, whom I met at an exercise group. Her life looks like a model example of productive aging. She is over 90 years old and has difficulty walking, but she lives by herself, surrounded by people who continue to count on her. Meanwhile, Mr. B, a gentleman in his 60s whom I first met at a park bench, is a former manager at a major company. Mr. B often sighs, saying that time passes too slowly as he rarely leaves his house since the retirement.   Looking back on my early days as a researcher, I tended to be drawn to people who keep shining, like Ms. A. But the more people I met, the more I’ve become interested in the idea of “their own way,” focusing on   each person’s uniqueness.   Let’s take Mr...

イマドキシニアの日常生活#11 キキドクって何?

年を重ねるにつれて何が困るって、老眼で文字が読みにくくなること。 自然、読書から距離を置くようになってしまう。 読みたい本があって買ってもツンドクになりがち。 電子書籍を文字を大きくしてタブレットで読むというのも今一つなじめない。 ところが、先日、最近は「キキドク(聞き読)」という方法で読書をしている人が増えているとの情報を得た。 サブスクで一カ月 1000 円~ 3000 円で 1 万点以上の本を聞き放題なのだそう。 ナレーションも俳優や声優が録音していて、好きな声を選べるようだ。 自分が聞きやすい声で耳から情報を得ることで、その本の世界感にスッと入り込むことができるのだという。   幼いころ、祖母が夜、添い寝をしてくれたときには必ずソラで物語を語ってくれた。目を閉じると、さまざまな情景が祖母の声によって広がり、主人公とともに冒険の旅に出た。物語を読みたいと思うようになったのは、祖母の語りがきっかけだったかもしれない。   ある女性は定年退職後、家事をしながら本を聞くことが習慣になり、それまでほとんど読書をしていなかったが、 1 カ月で 8 冊読むようになった。慣れてくると 1.5 倍速で聞けるようになったと言っていた。さらに、読んだ本のリストをアプリに登録して簡単な感想を書いたりすることで、友人の輪が広がり、お奨めの本を教え合ったりしているそうだ。   確かに、ハードカバーの本を 1 冊買うと 2000 円くらいするので、コストパフォーマンスはよさそうだ。家も本の山に埋もれずに済む。いいことづくめではないか。   とはいえ、大事な本は宝物。手に取って、一字一字読み進め、ページをめくる作業が楽しい。表紙の装丁や使われている書体までもがいとおしい。どんな漢字を使っているかによっても物語の印象が違ってくる気がするのだ。そして、ちょっと立ち止まって考え込んだり、少し戻ったりしながら読むのも紙ならではの醍醐味。 本棚に著者ごとに 1 冊ずつ本が並べられていく嬉しさも捨てがたい。   いろいろなものが電子化され、紙文化がなくなりつつある。美容院の雑誌はタブレットで選択して読むようになったし、レストランのメニューもタブレットから注文するようになった。コンサー...

推し活とプロダクティブ#16 「その人なり」とプロダクティブ

老年学、豊かな歳の重ね方の研究をしていることもあり、たくさんの大先輩たちの人生を垣間見る機会をいただいている。 その生き様は多様で、自分が学んできた老年学の理論だけでは捉えきれない人ばかり。   体操サークルで出会った歩行困難な一人暮らしの女性は、 90 を超えてもたくさんの人々に頼られ、プロダクティブエイジングのお手本の様な生き様。 一方で、公園のベンチで出会った 60 代の男性は、大企業の管理職を定年退職してからは家に閉じこもり、毎日が長いとため息ばかりついていたり。   研究をはじめた最初の頃を思い返すと、先に例として触れた 90 を超えた女性のようにキラキラ輝く人に目が行きがちだったのだけれど。 たくさんの人にお会いする程に気になりはじめたのが、「その人なり」という視点。   例えば、先に例に出した 60 代の男性の「その人なり」を考えてみると … かってに、閉じこもって、過去を振り返ってばかりと決めつけていたけれど、本当にそうなのかな … 。   よーく目を凝らすと、 1 日に 8000 歩と決めた目標を達成するために、朝夕に雨の日も近所をウォーキングしていたり。 ついでにマイトングとゴミ袋を片手にゴミ拾いをしていたり。   週に 2 回、奥さんに隠れ、医者に控える様に言われている甘いものを買いにミニスーパーに通っていたり。 その際には、誰に頼まれたわけではないけれど、小学校の下校時刻にあわせ、横断歩道でかってに見守りをしていたり。   この男性の面白いのは、環境活動や見守りなど、地域のためになる活動をしているのに、それを誰かから認められたくないこと。 ついつい褒めてしまった私にこの男性が返したのは「そんなこと言われるとやんなっちゃう、自分の健康のため、とか、気になるから、これじゃあダメなの?」という怒りの言葉。   もしかしたらだけれど、 1 日が長い … と過去の仕事山積みな毎日を振り返ることを楽しんでいたのかもしれない。 もしかしたら、自分だけがわかる小さな誰かのためのゴミ拾いや見守りが、この男性の今なりのプロダクティブなのかもしれない。   人からの評価の中で生きてきた 30 ...

Supporting my fav seniors #15 Social prescribing is being productive

Since the summer break started, I’ve been spending more time than usual with my parents, both in their 80s. Every day, this longer time together makes me realize what I failed to notice, or to understand how serious things were getting, when I was too busy with work and everything else.   Though I keep sighing over this reality, as a researcher, I can also discover new things by keeping track of the new daily routine. One of the discoveries is the signs my mother starts showing when she becomes agitated.   To be more specific, she would start doing two things. One of them is calling her husband (my father) over and over, as many as 100 times on a bad day, although he is at home. This can be a sign of her insecurity and anxiety. His cell phone is filled with voicemails from his wife saying, “Please come pick me up” at her old home.   What I’ve noticed is that she would often leave this message on two occasions:   when she needs to go to memory clinic...

推し活とプロダクティブ#15 社会的処方とプロダクティブ

夏休み、いつもより 80 代の両親と過ごす時間の長い毎日。 慌ただしすぎて気づかなかったこと、一部分しか知らずに深刻さを理解していなかったことを突きつけられる毎日。   ため息ばかりではあるけれど、研究者としては、毎日を追いかけることで新たな発見もあったりする。 その一つが、母が不安定になるとはじまる二つの行動の実態が見えたこと。   母の不安や焦りのサインとも言えるのだけれど、一つ目の行動が、同じ家にいる夫に、ひどい日は 100 回以上も電話をかけ続けること。 留守電にしてる父のスマホには、実家や昔の住まいに「迎えに来てください」のメッセージがたくさん。   これが増えるときに連動しているのが、認知症外来への通院日と一番身近な家族である夫が外出したり zoom などで自分の知らない世界と楽しそうに話した後。 不安だよね … 、漠然とした事実を突きつけられるって、支えだと思っていた人が知らない世界にいるって … 。   もう一つの行動が、何時間も何回も、食器棚や冷蔵庫の整理をすること。 お皿の位置がしょっちゅう変わり、買ったばかりの新玉ねぎが丸ごと冷凍庫に入っていたり、ワタシもイライラしてしまうことも多々だったのだけれど … 。   夏休み、チラチラ観察をした結果、わかったのが、この引き金となるトリガーがあること。 それは、忘れちゃう、無くしちゃう、作りすぎちゃう母に先回りして家族が役割を奪ってしまうこと。   できないでしょ、座っててと部屋の片隅に押しやるのは一番やっちゃいけないこと。 わかってはいるけれど、やっぱり一緒にいる時間が多いほどに難しい … 。   そんな日常で驚くのは、冬の個展に向けて作品の準備をしたり、認知症になったご近所さんを心配をしている時はかっての母に戻ること。 発注済みの額縁屋さんに何度も電話したり、ご近所さんが既に亡くなっていることを忘れていたりというオチはあるのだけれど … 。   元気な時よりも、弱ってきた時ほどに、役割を持っていると感じられることって大事。 それを家族だってわかっちゃいるけれど、余裕もないし、ストレスで自分が助けてもらいたい位の状況だったりも...