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4月, 2025の投稿を表示しています

Let’s Think About Life with Dementia #2 Living Alone with Dementia

  I feel encouraged every time I listen to people who continue to live alone even after being diagnosed with dementia, making creative adjustments every day. They also remind me that I myself may live alone and develop dementia someday. If that happens, what kind of challenges will I face in everyday life? What kind of creative ways and support will help me keep living the life in the way I like? As I think about these questions, stories by people with dementia give me hope and insight.   In reality, however, people with dementia tend to have fewer options in their lives, thinking like “They can’t do it because of dementia” and “There is nothing they can do about it.” The Basic Act on Dementia to Promote an Inclusive Society, enacted in 2024, stipulates that people with dementia should be able to enjoy their fundamental human rights, which we take for granted. The need for this provision to be included in the law reflects how often people’s wishes do not come true just be...

推し活とプロダクティブ#11 鯉が紡ぐプロダクティブ

桜の季節が終わってしばらく経った頃から街に現れるのが鯉のぼり。 簡単に言ってしまえば、子どもの成長を願って、布に描かれた鯉を庭や玄関先にぶら下げるという江戸時代からの慣習。 江戸時代の武士の家では、男の子が生まれたら、オーダーメイドで作った 2 メートル超えの鯉のぼりを贈るという習慣もあったとか。 今や、すっかり簡略化され、保育園で子どもが作ってきた紙製の鯉のぼりや、百均で売られている小さなものが飾られることも増えている。 それ以上に増えているのが、子どもが成人して飾られなくなった鯉のぼりを街で集め、川や公園広場で飾るという動き。 200 以上の鯉のぼりが空に泳ぐ姿は、子どものいない人にも元気を与え、観光名物になっている街もあったりする。 それを真似したわけではないけれど、ワタシの住む街ではじめたのが、お店や高齢者施設や地域の掲示板で鯉のぼりを飾ること。 コロナ禍、みなが元気をなくし、孤立感が強まるなかで、掲示板に鯉のぼりを飾りはじめたのがきっかけ。 ついでに、うちの鯉のぼり( 80 代バァバと 9 歳の孫で毎年、作り溜めてきた 10 匹以上の鯉のぼり)を中庭から、道路に面した玄関先に移動し、それをご近所にもお願いしてみたり。 目指したのは、お祭りなんかではなく、街を歩いていたら、そこかしこになんとなく鯉のぼりが泳いでいて、見つけた人がなんとなく笑顔になるくらいのこと。 そんな小さなことだったのだけれど、うちの鯉のぼりの前で立ち話する人が増えたり、デイサービスでシニアが作った鯉のぼりを窓に貼り付けてくれたり、店長が実家から大きな鯉のぼりを持ってきて店先に飾ってくれたり。 街にゆるやかな一体感が生まれたような、そんな変化が…。 コロナ禍の影響が薄まりつつある今も、掲示板に貼り付けられた小さな鯉のぼりを子どもたちが発見してニッコリ。 それを後ろから眺めるシニアたちが笑顔になるという光景が見られたり。 そんな鯉のぼりが創り出すゆるやかな一体感を眺めていて感じることが一つ。 世代間のつながりが大事って色々な場づくりが行われているけれど、これくらいのゆるやかな方が良いのかな…という自分なりの結論。 例えば、「登校中の子ども達が(デイサービスでシニアが作った鯉を窓に飾ってくれた)可愛い〜と喜んでいましたよ!」と、伝えた時の、デイサ...

Supporting my fav seniors #10 When he gets his productivity back

My mother, whose dementia is progressing, calls my father on his cell phone over and over although he is in the next room. She also gets mad at him, insisting that their friend is still alive although that person has actually passed away a few years ago.    Several times in this blog, I have shared my father’s conflict as he spends time with her almost every day. Today, let me share with you a small but significant step forward he has taken.   Empathy and acceptance are critical, but it’s easier said than done, particularly when you are dealing with your family who is too close to you, physically and emotionally. The damage these family members get are gradual but definite, just like getting hit with a series of small jabs instead of a huge punch.Having taken these jabs repeatedly, my father started getting angry and tired more easily. His words were getting more and more negative. His change also made my mother unstable; even his grandchild (in elementary sch...

推し活とプロダクティブ#10 プロダクティブを「取り戻す」日

認知症が進み、隣の部屋にいるのに、何度も父の携帯に電話をかける母。 数年前に亡くなった共通の友人を、生きていると怒り出す母。 そんな母とほぼ毎日、一緒にいる父の葛藤については、何度かこの blog でも触れさせて頂いてきた。 今日は、そんな父の小さくて大きな進化をご紹介したい。 いかに寄り添うか、わかっていてもそうはできないのが心も物理的な距離も近すぎる家族。 そんな家族が受けるダメージは、カウンターパンチではない、少しづつ効いてくるジャブのよう。 繰り出されるジャブに、父の場合は、怒りやすくなった、疲れやすくなった、後ろ向きな発言がどんどん増えているわけで。 そこに連動して、母も不安定になり、ついでに同居の孫(小学生)もイライラ…。 どうにかしなければ、と、ワタシが立ち上げたのが、妻をケアする夫じゃない日を創り出すプロジェクト。 言い換えれば、父の持つ家族以外のつながりのなかにいる時間を作って、今の状況を客観視する余裕をつくりだすぞプロジェクト。 でも、父自体、近所に仲間がいるわけでも、今から新しい場にでていく余裕や気持ちを持っているわけではないこともあり、プロジェクトを進めるのはそう簡単でなかった。 そもそも、母の近くにいつもいることが大事という思い込みもあり、いきなり自分の楽しみのために外にでるというわけにはいかなさそう…。 その日から始まったワタシから父への呟きの数々。 ついつい言ってはいけないことを言ってしまった、母からの電話が半日に 50 回以上鳴り響いて鬱鬱としている、そんなタイミングにワタシが呟いたのが「このままじゃお父さんが壊れるよ…」の一言。 そんな呟きが効いたのか、父自身の折り合いがついたのか、行動に変化が…。 週に一回は昔の仲間と会う時間を作って出かけて行ったり、面倒と言っていたオンライン同窓会で終了予定時間を過ぎてもおしゃべりしていたり。 聴こえてくるオンライン同窓会の会話は、なんだかいつもよりテンションが高め。 仲間に請われ、嬉しそうに自分の専門分野の話をする姿は、家族も嬉しい気持ちにさせる効果があったり…。 家という居場所、家族にしかできないこともあるけれど、家じゃない居場所、家族じゃないからこそ得られることもある。 多分、それは、家で見失ったプロダクティブを客観的に見つめなおすとい...

認知症の人の「くらし」を考える#2 ひとり暮らしをしながら認知症を生きる

認知症と診断されたあとも、日々の工夫を重ねながら、ひとり暮らし続けている本人の語りに耳を傾けるたびに、私は元気づけられる。そしてふと思う。私自身も、いつかひとりで暮らし、認知症になる可能性は十分にある。どのような生活上の課題に直面し、どのような工夫や支えがあれば、自分の望む暮らしを少しでも続けられるのか。それを考える上で、当事者の語りは私にとって、希望であり、学びでもある。 しかし一方で、「認知症だからやっぱり無理だよね」「もう仕方がないよね」と、暮らしそのものの選択肢が狭まってしまう現実もある。 2024 年に制定された「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」に、当たり前の権利としての「基本的人権」の尊重が明記される必要があったことからも、本人の希望が「認知症だから」という理由だけで叶えられないことは少なくない。 また、「ひとり暮らしを続けること」だけが最善であるわけではない。だが、在宅生活から施設への移行は、マイナスに捉えられることも多い。私はこれまで、本人が積み重ねてきた暮らしを大切にし、住み替えた先でもその人らしい生活が可能であることを、真摯に本人と向き合う専門職から学んできた。だからこそ、「どこで暮らすか」ということだけでなく、「どのように暮らすか」を問い続けることが、これからのケアには求められるのではないかと考える。 こんなことを考えながら、私や共著者の久保田さんと語り合う中で、本人や専門職から学んだことを自分たちでとどめておかず、多くの人に共有することの大事さにたどり着いた。 先月、出版した拙著『ひとり暮らし認知症高齢者の「くらし」を考える』は、「くらし」という言葉にこだわった。「くらし」とは、単なる日常生活の営みにとどまらず、英語で言う “Life”―― 命、生き方、価値観、つながりなどを含んだ多面的な概念である。認知症になってもなお続く、その人なりの生き方を支える視点として、この言葉を選んだ。 本書の出発点は、極めて素朴な問いである。 どのような思いでひとり暮らしを続けているのか。 どのような時に、ひとり暮らしがむずかしくなるのか。 日々の生活で、どんな困難に直面しやすいのか。 どうすれば、できるだけ今の暮らしを続けられるのか。 これらの問いに向き合うなかで見えてきたのは、「認知症だから」「ひとり...

Cutting-edge Daily Life of Elderly #6 Passion Is the Key To Success

  Employment Rate of Women in Japan by Age Group * Source: The Ministry of Internal Affairs and Communications, Labour Force Survey .   2012      2013      2014      2015      2016      2017      2018      2019      2020   65-69   60-64   55-59   Back in the days, retired men were often called “wet fallen leaves,” totally dependent on their wives and following them around all the time like wet leaves stuck on the ground. That was because they had no roots in their communities, with no jobs or roles, no hobbies, a...