認知症が進み、隣の部屋にいるのに、何度も父の携帯に電話をかける母。
数年前に亡くなった共通の友人を、生きていると怒り出す母。
そんな母とほぼ毎日、一緒にいる父の葛藤については、何度かこのblogでも触れさせて頂いてきた。
今日は、そんな父の小さくて大きな進化をご紹介したい。
いかに寄り添うか、わかっていてもそうはできないのが心も物理的な距離も近すぎる家族。
そんな家族が受けるダメージは、カウンターパンチではない、少しづつ効いてくるジャブのよう。
繰り出されるジャブに、父の場合は、怒りやすくなった、疲れやすくなった、後ろ向きな発言がどんどん増えているわけで。
そこに連動して、母も不安定になり、ついでに同居の孫(小学生)もイライラ…。
どうにかしなければ、と、ワタシが立ち上げたのが、妻をケアする夫じゃない日を創り出すプロジェクト。
言い換えれば、父の持つ家族以外のつながりのなかにいる時間を作って、今の状況を客観視する余裕をつくりだすぞプロジェクト。
でも、父自体、近所に仲間がいるわけでも、今から新しい場にでていく余裕や気持ちを持っているわけではないこともあり、プロジェクトを進めるのはそう簡単でなかった。
そもそも、母の近くにいつもいることが大事という思い込みもあり、いきなり自分の楽しみのために外にでるというわけにはいかなさそう…。
その日から始まったワタシから父への呟きの数々。
ついつい言ってはいけないことを言ってしまった、母からの電話が半日に50回以上鳴り響いて鬱鬱としている、そんなタイミングにワタシが呟いたのが「このままじゃお父さんが壊れるよ…」の一言。
そんな呟きが効いたのか、父自身の折り合いがついたのか、行動に変化が…。
週に一回は昔の仲間と会う時間を作って出かけて行ったり、面倒と言っていたオンライン同窓会で終了予定時間を過ぎてもおしゃべりしていたり。
聴こえてくるオンライン同窓会の会話は、なんだかいつもよりテンションが高め。
仲間に請われ、嬉しそうに自分の専門分野の話をする姿は、家族も嬉しい気持ちにさせる効果があったり…。
家という居場所、家族にしかできないこともあるけれど、家じゃない居場所、家族じゃないからこそ得られることもある。
多分、それは、家で見失ったプロダクティブを客観的に見つめなおすという心の余裕。
家に窮屈さを感じた時こそ、家で果たしている役割が重荷になっている時こそ、外からジブンを眺める時間が大事になる。
ケアの必要な家族をおいて楽しむことに罪悪感を覚える人もいるけれど、家族のために「プロダクティブを取り戻す日」が必要なのだな…と、父から学ぶ今日この頃。
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東海大学健康学部健康マネジメント学科
ウェルビーイングカレッジ
澤岡詩野(SHINO SAWAOKA)
jzt1864@tokai.ac.jp
健康学部公式サイト:https://www.tokai-kenko.ac/
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