スキップしてメイン コンテンツに移動

イマドキシニアの日常生活#1

 ライブに行こうぜ!

 

20245月末現在、65歳以上高齢者は約3600万人。そのうち要支援者を含むフレイルと呼ばれる自立した生活ができなくなる危険性が高い状態の人は約680万人(18.9%)。これはシンガポール(約610万人)や千葉県の人口(約630万人)より多い。ただし、フレイルには可逆性があり、生活を改善することにより、自立した状態に戻ること、維持することができるのだ。

 

 20247月、長いことファンとして応援しているバンドが結成30年を迎えた。コロナ禍を経て、久しぶりの野外でのライブ。ウキウキワクワクだ。

 ファンクラブに入り、ライブに行き始めたのは20代後半。あれから20年以上もの月日が過ぎた。アーティスト達はもちろん、私も、いつも一緒に行く友人もそれなりの年齢になった。そして周りの兄さん、姉さんたちも。

 

 みんなとおそろいの、真っ赤なイベントTシャツをまとい、少し派手目のお化粧を施し、髪をツインテールにした60代と思しき女性。アーティストと同じ色に染め、ワックスでガチガチにとがらせた髪でキメた同じく60代くらいの男性。みんな、静かに電車に乗り、若者とともに会場へ向かう。

 

いよいよ会場に入り、席に着く。ふと前の席を見ると、杖をついて娘さんらしき人に支えられて来ている方が。きっと無理をせず、座って楽しむのだろう、そう思っていた。友人もここ数年心臓の病気を患い、ライブは6年ぶり。体力に自信がないから途中で座るかもしれないと言っていた。

 

そして・・・幕が開く。キャー!!という歓声とともに一斉に皆立ち上がる。老いも若きも。前席の杖を突いた女性も!その日は、1999年のライブのリバイバル。25年前の自分に返って思いっきり楽しむ。

 

50代になったとは思えないバンドマンたちのエネルギーを受け、それを倍のエネルギーで返すファンたち。

杖の女性は杖なしで両手を振り上げ、ツインテールの女性は腕にキラキラモールをつけ、トゲトゲツンツンおじさんも拳を頭上に突き上げ、皆大きな声で歌い、踊る。笑顔があふれる。

 

アンコールを入れて3時間。え?誰も座らない?体力に自信がなかったはずの友人も汗まみれになってずっと立ちっぱなしだ。

 

なーんだ、みんな大丈夫。杖なんかいらない。好きなことのためにおしゃれして、1時間以上かけて移動して、元気に歌って踊れば3時間もあっという間。

これほどのリハビリがあるだろうか。

 

そもそも、今はチケットが電子化している。QRコードで読み取る方式のため、そこそこのITリテラシーが必要。スマホは必需品。

ライブに行くまでにはさまざまなハードルがある。体力だけでなく、知力、探求心も必要だ。

・ライブの情報を得る

・チケットの抽選申し込みをする

・チケット抽選結果を確認する

・チケット代金を支払う(クレジットカード)

・チケットが届いたかをアプリで確認する

・一緒に行く友人がいれば、電子チケットを分配する

QRコードを携帯に表示させる

・ライブグッズの販売情報を得る

・好きなグッズを買う

・ライブのセットリストを確認する

・新曲をアプリからダウンロードし、覚える

・ライブ会場への行き方を調べる(遠方の人はチケットを予約する)

・暑さ対策を講じる

・ライブに行く服や髪形を選ぶ

などなど

 

これらすべてを自分で、あるいは人に助けてもらいながら行って初めて会場に来ることができる。むしろ、これだけのことができるならば、もはやフレイルとは言わないのではないか。

 

「好きなことのため」、このモチベーションこそが人を動かす鍵なのだろう。

<鹿嶌真美子>

 


※厚生労働省「介護保険事業状況報告月報(暫定版)」令和65月分をもとに国際長寿センター 令和3年度老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進等事業分)「地域包括ケアシステムの構築を起点にした多様な産業との連携がもたらす地域づくりの展開に向けた調査研究」成果報告書 P15 図3「フレイルと要介護状態、健康余命との関係」より試算

コメント

このブログの人気の投稿

Supporting my fav seniors #4 Being Productive Can Take Many Forms

 “My 90-year-old mom lived in a care home, and she was losing strength and energy. So I asked her if there’s anything she’d like to do. What do you think she said?” I was asked this question by Ms. C, the representative of an organization helping people find Ikigai (meaning and purposes of life), who also provided support for her mother.   What came to my mind was the image of my grandfather a few days before he passed away, mumbling “I want to eat eel at the XX restaurant in Nihonbashi.” It turned out that Ms. C also expected a similar response like “I want to eat my favorite XX.”   “But I was wrong. She quietly said, ‘I want to work’.” Ms. C told me that such conversations with her mother had led her to develop a place for people to stay productive as they age. I nodded in total agreement, but…   This conversation also reminded me of the words by a participant in an Ikigai class I taught; it was a woman in her late 70s. She whispered to me: “Wel...

推し活とプロダクティブ#11 鯉が紡ぐプロダクティブ

桜の季節が終わってしばらく経った頃から街に現れるのが鯉のぼり。 簡単に言ってしまえば、子どもの成長を願って、布に描かれた鯉を庭や玄関先にぶら下げるという江戸時代からの慣習。 江戸時代の武士の家では、男の子が生まれたら、オーダーメイドで作った 2 メートル超えの鯉のぼりを贈るという習慣もあったとか。 今や、すっかり簡略化され、保育園で子どもが作ってきた紙製の鯉のぼりや、百均で売られている小さなものが飾られることも増えている。 それ以上に増えているのが、子どもが成人して飾られなくなった鯉のぼりを街で集め、川や公園広場で飾るという動き。 200 以上の鯉のぼりが空に泳ぐ姿は、子どものいない人にも元気を与え、観光名物になっている街もあったりする。 それを真似したわけではないけれど、ワタシの住む街ではじめたのが、お店や高齢者施設や地域の掲示板で鯉のぼりを飾ること。 コロナ禍、みなが元気をなくし、孤立感が強まるなかで、掲示板に鯉のぼりを飾りはじめたのがきっかけ。 ついでに、うちの鯉のぼり( 80 代バァバと 9 歳の孫で毎年、作り溜めてきた 10 匹以上の鯉のぼり)を中庭から、道路に面した玄関先に移動し、それをご近所にもお願いしてみたり。 目指したのは、お祭りなんかではなく、街を歩いていたら、そこかしこになんとなく鯉のぼりが泳いでいて、見つけた人がなんとなく笑顔になるくらいのこと。 そんな小さなことだったのだけれど、うちの鯉のぼりの前で立ち話する人が増えたり、デイサービスでシニアが作った鯉のぼりを窓に貼り付けてくれたり、店長が実家から大きな鯉のぼりを持ってきて店先に飾ってくれたり。 街にゆるやかな一体感が生まれたような、そんな変化が…。 コロナ禍の影響が薄まりつつある今も、掲示板に貼り付けられた小さな鯉のぼりを子どもたちが発見してニッコリ。 それを後ろから眺めるシニアたちが笑顔になるという光景が見られたり。 そんな鯉のぼりが創り出すゆるやかな一体感を眺めていて感じることが一つ。 世代間のつながりが大事って色々な場づくりが行われているけれど、これくらいのゆるやかな方が良いのかな…という自分なりの結論。 例えば、「登校中の子ども達が(デイサービスでシニアが作った鯉を窓に飾ってくれた)可愛い〜と喜んでいましたよ!」と、伝えた時の、デイサ...

推し活とプロダクティブ#5     一年の「コドク」とプロダクティブ

「わたしね、この時期があまり好きじゃないの、だって一年で 1 番コドクを感じるから」 毎年、年末に近づくと思い出すのがこの言葉。   言葉の主は、リーダーとまではいかないけれど、体操グループでいつも楽しそうな雰囲気で場を盛り上げる M さん。 10 年以上前にご主人を看取り、今は、体操グループ以外にも色々な活動に参加するアクティブな 80 代。   お子さんの話はあまり聴いたことがないのだけれど、遠くに住んでいるのか、すれ違いがあるのか、あまり行き来はない様子。 それを補うわけではないけれど、「日常で頼れるのは近くの仲間」というのが一人暮らしを続けるための M さんの持論。   ゆるやかに多様な 100 のつながりを自分の周りにつくることが大事。 誰かの 100 のつながりの百分の一になることも大事という百人力の研究をしているワタシにとって M さんはお手本の様な人なのだけど … 。   そんな M さんの口から一年のコドクの話をうかがった時には、正直なところ、かなりビックリした。 いつも居場所になっているコミュニティスペースはお休み、仲間もそれぞれのお家の行事で忙しくて誘いづらい、というのがコドクの原因。   街を歩けばクリスマスやお正月ムード、テレビを観れば里帰りに新幹線を待つ家族の楽しそうなインタビュー。 せめてもとおせちの黒豆を煮たのだけど、食べているうちに、あっ、私、一人なんだ … と悲しくなった … とポツリ。   確かに、地域のサロンなどをやっている人も子ども家族が来たりで、年末年始はほとんどの場が活動をお休みするわけで。 遠慮と、ひとりぼっちを知られたくないという多少の見栄もあって、仲間への電話も LINE も控えてしまったり。   そんな M さんのお話から考えはじめたのが、楽しいはずの年末年始に毎年のように襲ってくるコドクの和らげ方。 だって、日本もこれだけひとり暮らしが増えていて、誰もが直面する可能性のある課題だから。   たかだか 1 〜2週間の話だけれど、老いを感じることが増える毎日のなかで、毎年のように繰り返される負の影響はかなりなもの。 多分、ひとりでずっと生き...