今までは出かけていくのに問題なかった、自宅前の坂道を登った処にあるコミュニティセンター。
この坂を登ることが難しくなってしまい、参加していたサークルの仲間とも疎遠に…。
それが引き金になり、なにかをやってみることへの諦めが加速し、生きることに無気力になっていく。
そんなラストワンマイルの外出が難しくなった高齢者に起きる負の連鎖のお話を聴くことが増えています。
これまで外出を拒む壁として注目されてきたのは、自家用車の免許を返納したり、バスの減便といった交通手段の問題。
そこに、地域内でコミュニティバスを走らせたり、町内会などが自家用車で外出支援をしていたり、様々な取り組みが行われている。
でも、最近、聴こえてくるのは、要介護認定を受けているわけではないけれど、自宅周りの徒歩圏の外出すら厳しい人が増えているという話。
先日も、団地自治会で行っている外出支援の活動で、集合場所まで来るのも大変な人が増えているというお話をうかがったばかり。
でも、来られないという人の多くは、本当に歩けないわけでなく、月に数回は病院なんかに行っていたりする。
確かに股関節に痛みがあって歩くのは大変なのだけれど、本当に壁になっているのは前に向かない気持ちだったりする。
実は80代のうちの母もそう。昔は一度出かけたら夜まで戻ってこなかった人が、コロナをきっかけにほとんど出ない人に。
家ではそこそこ動いているのだけれど、出かけることについては、ドタキャンも多々。
先日は、徒歩10分の場所で行われる孫の発表会をみようと玄関先まで出たのはよいものの、そこで風邪気味だし…と居間に逆戻り。
この繰り返しに、本人はもちろんだけれど、一緒につきそう家族はガッカリを通り越して鬱々な気持ちに。
本人は、家事して動いているから、体を動かしているし問題ない、と、言い切るのだけれど。出なくなって一番の問題は、家族以外の人に会わないので、有用感みたいなものを感じられなくなることだったりする。
『有用感みたいな』と書いたのは、一緒に暮らす家族なんかは気がつけない、本当に小さなことだから。
例えば、家族の介護で落ち込んでいる仲間に、「わかる、大丈夫!」と声かけして、ありがとうと言われるくらいに小さなやりとり。
玄関から出ない母を眺めながら思い出したのが、90代の閉じこもり気味なお母さんのために玄関先にベンチを置いたという話。
朝からベンチに腰かけ編み物をするお母さん、通り過ぎる園児に手を振ったり、おしゃべりしにくるご近所さんと笑いあったり、表情が明るくなったとのこと。
ラストワンマイルの心の壁、完全に外が難しいなら、玄関先につながりを持ってくればよいのかな…。
ベンチでなくても、玄関先で鉢植えの花を世話するのも、それだけで、なにかが生まれるのかもしれない…なんて考えたお正月でした。
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東海大学健康学部健康マネジメント学科
ウェルビーイングカレッジ
澤岡詩野(SHINO
SAWAOKA)
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