スキップしてメイン コンテンツに移動

認知症の人の「くらし」を考える #3 ひとり暮らしだけど、“ひとり”じゃないひとり暮らし ― 大事な担い手としての訪問看護師

ひとり暮らし認知症高齢者が、その人らしい暮らしを続けるためには、長年培ってきた生活の知恵や、自分らしさを守ろうとする気持ちを、支援者がいかに大切にできるかが重要であると常々感じている。2025年3月、東京都健康長寿医療センターから『独居認知症高齢者の自立生活を支える訪問看護の実践ガイド』が公表された。このガイドには、ひとり暮らし認知症高齢者を支える訪問看護師が現場で活用できる「チェックリスト」と「実践のためのヒント」が示されている。私もこの研究に委員として関わらせていただいた。

 

このチェックリストは、ひとり暮らし認知症高齢者を支えてきた訪問看護師たちへの丁寧なインタビューをもとに作成され、エキスパートの方々からの意見を集約したものである。現場で大切にされてきた姿勢や視点、支援の工夫が整理され、以下のようなステップにまとめられている。

  • STEP1:利用者の暮らしに入り込み、対話を重ねながら関係性を築く(4項目)
  • STEP2:利用者のことを全人的に理解し、心身状態や生活状況をアセスメントする(6項目)
  • STEP3:多職種と協働しながら、個別性のある支援を行う(5項目)
  • STEP4:経過を見通した判断と、意思決定支援を行う(3項目)

 

ガイドの中から、ひとつの事例を紹介したい。


Dさん(80歳・女性)は中等度の認知症があり、訪問看護の支援を受けながら、ひとりで暮らし続けていた。訪問スタッフが声をかけると、いつも明るく迎えてくれ、冗談を交えた会話もできる方であった。しかしある日を境に、その笑顔が見られなくなった。部屋の中も散らかったまま。いつものDさんらしさが感じられない。さらに別の日、訪問介護スタッフが、家からかなり離れた場所でDさんが迷って立ちすくんでいるのを偶然見つけたという話を聞いた。何かが起きている――そう感じた訪問看護師が家族に連絡を取ったところ、Dさんの姉が1か月ほど前に亡くなっていたことがわかった。


このように、表情や行動のちょっとした変化から、心身の異変や生活背景の変化に気づくことがある。だが、認知症高齢者の多くは、自分の不安や悲しみをうまく言葉にするのが難しい。もちろん、本人の声に耳を傾けることが基本だが、本人の語りだけでは状況を把握しきれないことも少なくない。

 

私は訪問看護師ではないが、この研究に関わるなかで、訪問看護師が多職種と連携しながら「変化を見逃さない姿勢」を共有することの重要性を改めて実感した。Dさんのように「何があったのか」がすぐに分からなくても、表情や言葉、行動、生活空間の乱れなどから小さな「サイン」を見つけ、それを支援者間で共有しながら丁寧に関わっていくことが大切である。そのプロセスには、医学的視点だけでなく、心理的・社会的な側面を含めた多角的な理解と支援の継続が欠かせない。

 

大切なのは、「ひとりで暮らしてもいても、誰かとつながっている」と感じられることだと思う。実践ガイドに登場する方々の語りや、支援者たちの姿から、その可能性が強く感じられる。ひとり暮らし認知症高齢者が、自分らしく安心して暮らし続けられるためには、訪問看護師をはじめとする多職種の連携、そして地域とのつながりを「暮らしの基盤」として育んでいくことが求められる。そして何より、「その人の今に寄り添う」姿勢こそが、支援の出発点であることを、改めて心にとめておきたい。

 

 ※ガイドはこちらからダウンロードできます!

『独居認知症高齢者の自立生活を支える 訪問看護の実践ガイド』

https://www.tmghig.jp/research/cms_upload/1b79188a1fdd5d515251f5756bf9fb40.pdf

発行:東京都健康長寿医療センター 協力:全国訪問看護事業協会

編著者:津田修治・中島朋子・金田絵美

 

日本福祉大学 福祉経営学部 中島民恵子(Taeko Nakashima

https://www.nfu.ne.jp/

コメント

このブログの人気の投稿

Supporting my fav seniors #4 Being Productive Can Take Many Forms

 “My 90-year-old mom lived in a care home, and she was losing strength and energy. So I asked her if there’s anything she’d like to do. What do you think she said?” I was asked this question by Ms. C, the representative of an organization helping people find Ikigai (meaning and purposes of life), who also provided support for her mother.   What came to my mind was the image of my grandfather a few days before he passed away, mumbling “I want to eat eel at the XX restaurant in Nihonbashi.” It turned out that Ms. C also expected a similar response like “I want to eat my favorite XX.”   “But I was wrong. She quietly said, ‘I want to work’.” Ms. C told me that such conversations with her mother had led her to develop a place for people to stay productive as they age. I nodded in total agreement, but…   This conversation also reminded me of the words by a participant in an Ikigai class I taught; it was a woman in her late 70s. She whispered to me: “Wel...

推し活とプロダクティブ#11 鯉が紡ぐプロダクティブ

桜の季節が終わってしばらく経った頃から街に現れるのが鯉のぼり。 簡単に言ってしまえば、子どもの成長を願って、布に描かれた鯉を庭や玄関先にぶら下げるという江戸時代からの慣習。 江戸時代の武士の家では、男の子が生まれたら、オーダーメイドで作った 2 メートル超えの鯉のぼりを贈るという習慣もあったとか。 今や、すっかり簡略化され、保育園で子どもが作ってきた紙製の鯉のぼりや、百均で売られている小さなものが飾られることも増えている。 それ以上に増えているのが、子どもが成人して飾られなくなった鯉のぼりを街で集め、川や公園広場で飾るという動き。 200 以上の鯉のぼりが空に泳ぐ姿は、子どものいない人にも元気を与え、観光名物になっている街もあったりする。 それを真似したわけではないけれど、ワタシの住む街ではじめたのが、お店や高齢者施設や地域の掲示板で鯉のぼりを飾ること。 コロナ禍、みなが元気をなくし、孤立感が強まるなかで、掲示板に鯉のぼりを飾りはじめたのがきっかけ。 ついでに、うちの鯉のぼり( 80 代バァバと 9 歳の孫で毎年、作り溜めてきた 10 匹以上の鯉のぼり)を中庭から、道路に面した玄関先に移動し、それをご近所にもお願いしてみたり。 目指したのは、お祭りなんかではなく、街を歩いていたら、そこかしこになんとなく鯉のぼりが泳いでいて、見つけた人がなんとなく笑顔になるくらいのこと。 そんな小さなことだったのだけれど、うちの鯉のぼりの前で立ち話する人が増えたり、デイサービスでシニアが作った鯉のぼりを窓に貼り付けてくれたり、店長が実家から大きな鯉のぼりを持ってきて店先に飾ってくれたり。 街にゆるやかな一体感が生まれたような、そんな変化が…。 コロナ禍の影響が薄まりつつある今も、掲示板に貼り付けられた小さな鯉のぼりを子どもたちが発見してニッコリ。 それを後ろから眺めるシニアたちが笑顔になるという光景が見られたり。 そんな鯉のぼりが創り出すゆるやかな一体感を眺めていて感じることが一つ。 世代間のつながりが大事って色々な場づくりが行われているけれど、これくらいのゆるやかな方が良いのかな…という自分なりの結論。 例えば、「登校中の子ども達が(デイサービスでシニアが作った鯉を窓に飾ってくれた)可愛い〜と喜んでいましたよ!」と、伝えた時の、デイサ...

推し活とプロダクティブ#5     一年の「コドク」とプロダクティブ

「わたしね、この時期があまり好きじゃないの、だって一年で 1 番コドクを感じるから」 毎年、年末に近づくと思い出すのがこの言葉。   言葉の主は、リーダーとまではいかないけれど、体操グループでいつも楽しそうな雰囲気で場を盛り上げる M さん。 10 年以上前にご主人を看取り、今は、体操グループ以外にも色々な活動に参加するアクティブな 80 代。   お子さんの話はあまり聴いたことがないのだけれど、遠くに住んでいるのか、すれ違いがあるのか、あまり行き来はない様子。 それを補うわけではないけれど、「日常で頼れるのは近くの仲間」というのが一人暮らしを続けるための M さんの持論。   ゆるやかに多様な 100 のつながりを自分の周りにつくることが大事。 誰かの 100 のつながりの百分の一になることも大事という百人力の研究をしているワタシにとって M さんはお手本の様な人なのだけど … 。   そんな M さんの口から一年のコドクの話をうかがった時には、正直なところ、かなりビックリした。 いつも居場所になっているコミュニティスペースはお休み、仲間もそれぞれのお家の行事で忙しくて誘いづらい、というのがコドクの原因。   街を歩けばクリスマスやお正月ムード、テレビを観れば里帰りに新幹線を待つ家族の楽しそうなインタビュー。 せめてもとおせちの黒豆を煮たのだけど、食べているうちに、あっ、私、一人なんだ … と悲しくなった … とポツリ。   確かに、地域のサロンなどをやっている人も子ども家族が来たりで、年末年始はほとんどの場が活動をお休みするわけで。 遠慮と、ひとりぼっちを知られたくないという多少の見栄もあって、仲間への電話も LINE も控えてしまったり。   そんな M さんのお話から考えはじめたのが、楽しいはずの年末年始に毎年のように襲ってくるコドクの和らげ方。 だって、日本もこれだけひとり暮らしが増えていて、誰もが直面する可能性のある課題だから。   たかだか 1 〜2週間の話だけれど、老いを感じることが増える毎日のなかで、毎年のように繰り返される負の影響はかなりなもの。 多分、ひとりでずっと生き...