夏休み、いつもより80代の両親と過ごす時間の長い毎日。
慌ただしすぎて気づかなかったこと、一部分しか知らずに深刻さを理解していなかったことを突きつけられる毎日。
ため息ばかりではあるけれど、研究者としては、毎日を追いかけることで新たな発見もあったりする。
その一つが、母が不安定になるとはじまる二つの行動の実態が見えたこと。
母の不安や焦りのサインとも言えるのだけれど、一つ目の行動が、同じ家にいる夫に、ひどい日は100回以上も電話をかけ続けること。
留守電にしてる父のスマホには、実家や昔の住まいに「迎えに来てください」のメッセージがたくさん。
これが増えるときに連動しているのが、認知症外来への通院日と一番身近な家族である夫が外出したりzoomなどで自分の知らない世界と楽しそうに話した後。
不安だよね…、漠然とした事実を突きつけられるって、支えだと思っていた人が知らない世界にいるって…。
もう一つの行動が、何時間も何回も、食器棚や冷蔵庫の整理をすること。
お皿の位置がしょっちゅう変わり、買ったばかりの新玉ねぎが丸ごと冷凍庫に入っていたり、ワタシもイライラしてしまうことも多々だったのだけれど…。
夏休み、チラチラ観察をした結果、わかったのが、この引き金となるトリガーがあること。
それは、忘れちゃう、無くしちゃう、作りすぎちゃう母に先回りして家族が役割を奪ってしまうこと。
できないでしょ、座っててと部屋の片隅に押しやるのは一番やっちゃいけないこと。
わかってはいるけれど、やっぱり一緒にいる時間が多いほどに難しい…。
そんな日常で驚くのは、冬の個展に向けて作品の準備をしたり、認知症になったご近所さんを心配をしている時はかっての母に戻ること。
発注済みの額縁屋さんに何度も電話したり、ご近所さんが既に亡くなっていることを忘れていたりというオチはあるのだけれど…。
元気な時よりも、弱ってきた時ほどに、役割を持っていると感じられることって大事。
それを家族だってわかっちゃいるけれど、余裕もないし、ストレスで自分が助けてもらいたい位の状況だったりもする。
だからこそ、家族じゃない近所の人や仲間とのつながりが大事になってくるのよね。
なんて、ボヤキながら頭に浮かんだのが、心や体に課題を抱える人に治療や薬ではない、社会を処方するという「社会的処方」という言葉。
母の場合、病院通いは認知症の進行度を定期的に確認するために、投薬は周辺症状を改善することが目的。
でもね、それよりも、今の母や我々かぞくに大事なのは、プロダクティブでいられるつながりを見つけたり創り出したりすることなのかな…と、改めて考える夏休み。
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東海大学健康学部健康マネジメント学科
ウェルビーイングカレッジ
澤岡詩野(SHINO
SAWAOKA)
jzt1864@tokai.ac.jp
健康学部公式サイト:https://www.tokai-kenko.ac/
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