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推し活とプロダクティブ#3    『年賀状』がうみだすプロダクティブ

 

「年賀はがきの販売が始まりますが、郵便料金も上がるなかで、年賀状を出す人は減るのでしようか?」

「ここ数年でやめる人が増えていると聴きますが、理由はなんでしょうか?」

こんな電話が某テレビ局からかかってきたのは2週間前のこと。
実はわたし、高齢者の年賀状事情についての本を出させて頂いたこともあり、「年賀状に詳しい人」として取材を頂くことも少なくありません。

その度にお伝えしているのが、そもそもの年賀状を出す意味。
年賀状は、あまり会わなくなっているけれど大切な人との関係を確認する手段の一つであって、つながり続けるために必要なら出せばよいし、必要ないならやめればよいとお伝えしています。

年末年始に出すのが礼儀、だから出さなきゃいけない、そう考えちゃうから疲れちゃうし、負担感ばかりが増してしまう。
特に、仕事のしがらみも少なくなる高齢期にあるならば、もっと自由に、つながりを届けたい人にだけ気持ちをこめて年賀状を出せばよいわけだったりします。

つながりを届けるのに決まった形はなく、ハガキで出すか、メールやLINEで届けるか、これも相手によって使い分ければよい。
まずは、今の自分に大事な人間関係を考えることから始めてください、なんていうアドバイスもつけさせていただいています。

ここに気付かせてくださったのは、定年退職をキッカケにハガキで年賀状をだすのをやめたシニア男性Aさんでした。
退職前に名刺を整理していたら、年賀状を出していた6割くらいが仕事のみの関係で、残りの学生時代の仲間なんかはネットでつながっているとわかって、ハガキで出さなくなったと話すAさん。

「実はね、やめたと言ったけど、実はネットが不得意な3人だけ、施設に入っている恩師と会社でお世話になった80代の上司二人にだけは、手書きでまだ年賀状を出しているんだ」

「先輩方は人間関係が狭まっていく年齢。だからこそ、たかが年賀状だけど、感謝やつながりを届けたい」とのこと。

想像力の豊かなワタシの頭には、動くこともままならない寂しい生活のなかで、Aさんからの年賀状を嬉しそうに眺める男性の姿が

思わず「お優しいですね~、えらいですね~」とAさんを称えたくなったワタシを前に、本音がチラリ。

 

「じつはね、独りよがりかもしれないけど、先輩の喜ぶ顔を思い浮かべてうれしい気持ちになるから続けているんだよ」

そうなのですよね、歳を重ねて社会とのつながりが失われていくのはAさんも同じなわけで、年賀状を出すことでつながりを感じ、喜びをわけることができているなら、スゴイことですよね。

 

年の瀬にグリーティングカードをだす習慣は海外にもあり、わずらわしさを与えるストレス源にもなっているという研究もあります。

でも、年賀状をだすことで大事な誰かを喜ばせ、あなたも喜びを得ることができているのだとしたら、すごいプロダクティブな行動といえるのではないでしょうか。


<参考>

「後悔しない『年賀状終活』のすすめ」澤岡詩野(著)/カナリアコミュニケーションズ





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東海大学健康学部健康マネジメント学科

ウェルビーイングカレッジ

澤岡詩野(SHINO SAWAOKA

コメント

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